初めまして、みほこぼしです。
2020年7月、日本に本帰国しました。
それまでに2度渡独し、1回目と2回目を合わて約18年くらいドイツで暮らしていました。
帰国子女ではなく、20歳からドイツに移住していたので、大人になってからは日本で暮らした時間よりドイツで暮らした時間の方が長いです。
目次
⭐️ドイツでの経験
【1度目の渡独中】
・ホテル内日本食レストラン(着物を着てのウェイトレス)
・Aupair(日本人&ルクセンブルグ人家庭子ども4人の家にて住み込み手伝い)
・日系企業(貿易事務)
・ドイツの大学入学資格取得のための学校に入学、大学入学資格ゲットして卒業
・専修大学(Fachhochschule)社会教育学部(Sozialpädagogik)に入学、卒業
・妊娠、出産(主人が運転する車の中で娘誕生)
趣味的な事としては、
・結構旅した(ドイツ国内、ヨーロッパ内、チュニジア、タイ、ブラジル、モルジブ)
・ダンス習った(社交ダンス、カーニバル系サンバ)
・ドイツ語を習った(VHS)
・ドイツ語の試験を一つ一つ受けてクリアした
【2度目の渡独中】
・娘インターナショナルスクールに入る
・娘モンテッソーリの小学校に転校する
・娘がはまったこと=サーカス、乗馬、水泳、演劇
・主人と再びドラゴンボートレースに参加
・私GFK(Gewaltfreie Kommunikation=非暴力コミュニケーション)のセミナーに通い、学ぶ。日常生活での実践を始め、今に至る。
もっと知りたい❗️という方は、さらに👇もどうぞ〜☺️
⭐️初渡独してから1度目の本帰国で自分壊れる
成人とともに実家を出てドイツに渡り、そのまま16年ドイツで暮らしていたので、逆に日本で”大人”として暮らしたことがありませんでした。
結婚を本気で意識した頃、その頃ドイツで駐在中だった今の主人と運命的に出会い、結婚します🥳
娘がドイツ(主人の運転する車の中🏎)で生まれてすぐ、本帰国が決まり、1度本帰国。
20歳から16年、ドイツで過ごしての、本帰国。
子育ても初めて、日本のシステムもわからない、わからないことだらけの生活は、とても辛いものでした。
Twitterを利用している今(宣伝👉 @mrsmakelvoll と @mihokoboshi ) は、その頃Twitterに出会っていたら、壊れなかったかもなぁなんて思いますが、その頃は、オフラインでの人間関係が頼りでしたからね…😞
でも、私のような変わった経歴の人に、オフラインで出会えることなど、そうそうなく…
理解してもらえない状態が続き、自分を周りに合わせ続け、自分が壊れちゃったんですね。まさか自分がいつか、”この世から消えてしまいたい”と思うなんて、夢にも思わなかった。鬱っぽかったし、子育ても、夫婦仲も悪化。
実家族との関係も、徐々に改善していけそうだと思える道を見つけてまもなく、弟が離婚し、子と犬を連れて実家に帰ってくる事態に。。ここで一度、私の心は壊れました。実家族に初めて、”距離を置きたい宣言”をします。
そして人生で初めて、カウンセラーさんのお世話になりました。
もうどうしていいかわからなくて。
一度行って話したら、それだけで心の中にできていた”固い結び目”がゆるみ、また前向きになれました。
「1回来ただけで楽になるなんて、強いですね❗️まぁ念のため、もう一度だけ、来てみてください。」と言われ、もう一度行きましたが、もう大丈夫でした😌
それでまた運気が上がったのか、願ってもみなかった、2度目の渡独チャンスが訪れます✨😆
距離を置いていた実家族と、ここでまた繋がります。
距離を置いたままにして渡独してしまったら、今後連絡を取り合うのは難しくなってしまうと感じたからです。
絶縁は、避けたかったんです。
⭐️2度目の渡独・また壊れて起き上がる
日本にいたら、4月から娘は日本の小学校に入学する予定でした。
主人は5月から帰任だったので、4月末には渡独。
日本の小学校に入学して少しだけ通ってまたすぐ転校…もしくは夏まで日本で過ごして慣れてきた頃に転校…より、日本の小学校へは行かずダイレクトにドイツへ行くのが、私たち家族にとってベストと判断し、5月中旬に私と娘も渡独しました。
最初のドイツ滞在は、自分1人で自由気ままに約10年、プラス主人と2人で約5年。
今度は、家族3人でのドイツ滞在。
2度目の渡独とはいえ、新しい滞在条件。これまでのドイツ滞在とは、心持ちも違っていました。
1度目のドイツ滞在では、本当に自由気ままに過ごしていたので、
2度目は、ドイツ行きの引越し準備から、いきなり窮屈な思いをします。
スーツケース1つで旅立った1度目とは違い、今回は家族で総移動。スケールが違いました。
家族単位での引っ越しを経験された方なら痛いほどわかるかと思いますが、
「持っていく?持っていかない?」
「捨てる?取っておく?」
いちいち家族とぶつかるポイントでした😓主人の勤務する会社がドイツに行かせてくれるわけですから、当たり前ですが”自由”にはいきません。
引越しがとりあえず終わりドイツには来たものの、1度目の滞在の時のように”自由”は感じられず、最初は本当に戸惑いました。
私にとって、”ドイツに住む”ということは、”自由”を意味していたからです。
日本にいても、ドイツに来ても、自由になれない…
そう思うと、悲しくもなりました。念願の2度目のドイツなのに、途方に暮れることになるなんて、これっぽっちも思わなかった。
でもそんなウジウジしている余裕はなく。
できるだけ娘がストレスを感じることなく新地での新生活のスタートをきれること、彼女が成長できる環境を整えること、それは私にとっては自分の自由と同じくらい大切。
ここからはそちらを達成すべく、動き始めます。
娘はまずはインターナショナルスクールに入学します。
1年目にして、「娘が同じクラスの日本人の子とぶつかりどうにもこうにも解決できない問題」以外にも、娘のクラスや周りの大人のために動いてしまう自分。。2度目、私崩壊。
その時インターナショナルスクールのスクールカウンセラーの先生に1冊の本を紹介されました。それが、”非暴力コミュニケーション”との最初の出会いです。
(ドイツ語でGewaltfreie Kommunikation – GFK、
英語では、Nonviolent Communication – NVC)
私にとっては、これが救いとなります。
こちらもまた皆さんに紹介したいなと思っていることなのですが、
生きる姿勢って言うのかな。
それを変えるポイント、になったんですよね。
これまでずっと感じていた”生きづらさ”が、一気に理解できた感じで。
目の前にかかっていた、重いカーテンが、サッと開いた感じかな。。
そう、”生きづらさ”がなくなったわけじゃないんだけど、
✅私の”生きづらさ”には、”理由”があった
✅”私が悪いとか、相手が悪いとかじゃない”
そう理解できて、私の心は、ものすごーーーく楽になったんです。
そう理解できただけで、心がスッキリ。
せっかく大好きなドイツにいるのに、ずっと”停滞”している感じだった私の人生。そこからまた、スタートできました。
まずGFKに関する本を読み、読んだだけでは分からず、セミナーに通います。
その後全てがすんなり行ったわけじゃないです。でも、諦めなかった。
GFKを日常に取り入れるようになり、徐々にですが、色んなことが、変わってきました。子どもとの関係、主人との関係、私自身との関係。
今は、私にとっては1番難しい、実家族との関係に取り組み中です。これがねぇ、私には1番の難関(笑)❗️でも、家族は私にとって大事な存在なんですね。絶縁だけは、避けたいの。絶縁しなくても、お互いに納得のできる道を見つける。生のある限り、諦めない。
ストレス・意見の不一致・イライラとかって、なくなることはない。
でもその中で、
日々どうやって、心のバランスをとりつつ過ごすか?
その術を、GFKを通じて、学んだ感じです。
⭐️2度目の本帰国・日本に帰ってきた今
1度目ドイツから帰国したときは、不安で一杯で、どんなに自分を奮い立たせようとしても、結局潰れてしまった。
でも今回また起き上がってからは、「私もう大丈夫❗️」と感じられ、私らしいパワーが湧いてきています😊
2度も自分崩壊して、自分や家族と向き合ううちに、
人生あと半分の今、ようやく、
本当の意味で、自分を信じる過程にいる感じです。
自分と家族が優先したいので、
徐々にではありますが、確実に、自分の歩みたかった、ずっと夢見ていた生き方に、近づけている気がしてます✨
私は今、自分自身に満足してる。
これって本当、私の幸せです✨
私は自由✨
何をするのも、自分で選択する。
かといって、”誰かを傷つけている”という気持ちには、もうならない。
『大切なものを、見極めて、行動する』
今大切にしてることは、それだけですね。
生きるって、本当は、すごくシンプルでOK❗️
なんだなって、感じています。
同時に、そのシンプルなことを実行するのは、簡単ではないな、とも思います。
忍耐力・決断力・意志の強さが必要って感じるから。
けど、自由に自分の人生を生きるためなら、苦じゃないです。むしろ、楽しい。
誰かのお役に立てる日を夢見て、
私のこれまでの経験を、このブログに集結❗️
…するつもりで、記事を書いていきます。
どうぞよろしくお願いいたします🍀
最後まで読んでくださり、ありがとうございました‼️😊